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東京地方裁判所 昭和29年(タ)19号 判決 1954年8月13日

本籍 長野県松本市大字北深志新町百十一番地い

住所 東京都大田区北千束町四百三十六番地 遠藤喜一方

原告 大和史子

本籍 原告に同じ

最後の住所 東京都台東区浅草三筋町番地不詳

被告 大和浩

右当事者間の、昭和二十九年(タ)第一九号離婚請求事件について当裁判所は、次の通り判決する。

主文

一、原告の請求は之を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は原告と被告とを離婚する、未成年の子洋子、真理子の親権者を原告と定める、訴訟費用は被告の負担とする旨の判決を求めその請求の原因として、

一、原告と被告とは、昭和十八年一月十五日、婚姻の届出を了し現に、法律上の夫婦であつて、その間に、昭和十九年二月十四日、長女洋子が出生した。

二、原被告は、婚姻後、旧満洲国チチハル市に於て、同棲し、その後、被告の勤務の関係で、一時、日本内地に帰還したことがあつたが、昭和十九年五月中、被告が、旧満洲国ハルピン市に転勤を命ぜられたので、同市に転住した。

三、然るところ、終戦直前に至り、ソ連の参戦があつた為め、原告は、被告と別れ、長女洋子を伴つて朝鮮平壤市に避難し、翌昭和二十一年六月中、日本内地に引揚げた。

四、終戦後、被告は、ソ連に抑留され、現に、シベリヤに生存して居ることが明かであるが、何時日本に帰還し得るか全く不明である。

五、原告は、終戦後、被告の帰還を待ち受けて居たのであるが、被告が、何時帰還し得るのか判らないので、身の振方を考え昭和二十六年四月中、訴外遠藤喜一と内縁の関係を結び、その間に、昭和二十七年三月二日、真理子が出生して居る様な次第で今後被告と婚姻を継続する意思は、既になくなつて居る。

六、以上の次第で、原被告間の婚姻の実質は、既に、全く失われて居て、これ以上婚姻関係を継続することは無意味であつて夫婦間にこの様な状態が存在する場合は、民法第七百七十条第一項第五号に該当するから、被告との離婚を求める為め、本訴請求に及んだ次第である。

七、尚、原告間の長女洋子の親権者は、被告の帰還の見込が立たないので、原告と定められ度く、真理子は被告の子ではないが、被告との婚姻関係継続中の子であるから、原被告間の子として、その親権者を原告と定められ度く、併せて申立に及ぶ次第である。

と述べ、

立証として、

甲第一、二号証を提出し、

証人水沢正紀、同遠藤喜一、同大和猛の各証言並に原告本人尋問の結果を援用した。

被告は

公示送達による適式の呼出を受けながら、本件口頭弁論期日に出頭しない。

理由

一、原、被告が、昭和十八年一月十五日、婚姻の届出を了した夫婦で、その間に、昭和十九年二月十四日、長女洋子が出生したことは、公文書である甲第一号証(戸籍謄本)と原告本人尋問の結果によつて明かである。

二、被告が終戦当時、旧満洲国に駐屯して居た関東軍特種情報隊附陸軍大尉として同国新京に在勤し、終戦後、ソ連に抑留され、その後も引続いて同国に抑留されたまま、現在に至つて居ること、及び被告が現に、健在でシベリヤ方面の収容所に於て、抑留生活を送つて居ること、並にその帰還の可能性と時期とが不明であることは、公文書である甲第二号証(未復員証明書)と原告本人尋問の結果及び証人大和猛の証言によつて、之を認めることが出来る。

三、而して、証人大和猛、同水沢正紀、同遠藤喜一の各証言並に原告本人尋問の結果と前項甲第二号証とを綜合すると、

原被告は、結婚当初は、旧満洲同チチハル市に於て、同棲したが、(当時被告は陸軍中尉)、その後一旦、内地に帰り、(その間に長女洋子出生)、昭和十九年五月頃、再び満洲に帰つて、ハルピン市に於て同棲し、同年秋頃新京市に移つたのであるが、昭和二十年八月初旬、ソ連の参戦があつた為め軍の命令で、原告は被告と別れ、長女洋子を伴つて、同月十日、朝鮮平壤市に避難し、同市で終戦を迎へ、翌昭和二十一年六月中、長女と共に内地に引揚げ、被告の父母の居る長野県松本市の被告の実家に帰つたのであるが、被告の母との折合が悪く、その為め、原告は昭和二十三年三月頃、長女を伴つて、仙台市の原告の実家に帰つたこと、その後、原告は進駐軍に雇人として勤務して居る中、訴外遠藤喜一と知り合つて、関係を結び、昭和二十六年四月頃、同訴外人と事実上の結婚をしたこと、そして同人との間に、昭和二十七年三月二日、女児真理子が出生したこと、右真理子は原被告間の婚姻継続中の子である為め被告と原告との間の子として届出で、現に被告の戸籍に二女として在籍して居ること、及び原告が今後、右訴外人と夫婦生活を送ることを固く決意して居て、被告と将来夫婦生活を送る意思が全然なくなつて居ること、尚、原被告間の長女洋子は、原告が前記訴外人を夫に持つた為め、被告の母ちとせが、昭和二十六年八月頃、その手許に引取り、現在、その手で養育されて居ること、

が認められる。

四、仍て案ずるに、夫が多年の間、他国に抑留されて居て、帰還の見込がないと云う様な場合は、夫婦の現実の結合関係が断絶して居て、回復の見込がない場合であると云えるから、夫婦の実質が、全く失われて居ることに帰着し、(夫婦の結合関係は、人間の現実の結合関係であるから、肉体的、経済的結合関係はもとより、人間の諸々の関係に於て、現実的結合がなければならない。従つて、夫婦間にこの現実的結合関係が失われれば、夫婦の実質は失われて仕舞うと云えるからである。)、離婚の原因となり得ると解されるのであるが、諸種の事情からして、時期は不明であつても、やがて帰還することが確実である限りやがて現実の結合関係の回復することが確実であるから、夫婦の実質が失われて居ると云うことは出来ない。何となれば、夫婦の結合関係は、現実的結合関係ではあるが、一時的の結合関係ではなく、終生の結合関係をその本質とするのであるから、その生涯の一時期に於て、その現実の結合関係が、中断されて居ても、それがやがて回復される以上、その現実の結合関係は依然として、継続していると云えるからである。従つて、夫の帰還が確実である以上、夫に、前記の事情があるとしても、夫婦の実質は現存することになるから、婚姻の実質が失われて居ることを理由とする離婚原因とはならないとしなければならない。故に、斯る場合は妻は夫に対し離婚請求権はないのであるから、妻として、誠実に夫の帰還を待つべき義務があると云わなければならない。又、斯くすることが道義的に見て、人間本来の道であると考えられるのである。

本件被告が、終戦以来、多年に亘つて、ソ連に抑留されて居て未だ帰還の可能性も時期も不明であることは、前記認定の通りであるが、従前のソ連抑留者の帰還の状況に鑑み、被告の帰還の確実であることは顕著な事実であると云えるから、前記理由によつて、本件原被告夫婦間の現実の結合関係は、未だ失われて居ないと云わなければならない。従つて、夫たる被告に右認定の事実があるからと云つて、離婚原因があることにはならないから、原告は被告に対し、離婚請求権を有しない。故に、妻たる原告は夫たる被告の帰還を誠実に待つべき義務がある。

斯く解すると、或はそれは妻に難きを強うるものであつて、人間性を無視し、法律が裁判上の離婚制度を認めた趣旨に反するとする者があるかも知れない。然しながら、夫たる被告はシベリヤの僻地に於て(これは前記認定の事実に徴し明白である)日々、苦難に抑留生活を送つて居るのであるから、(これは顕著な事実である)妻たる原告は、之を思い自ら苦難に耐えるのが夫たる被告の苦難に答える道であつて、而も、原告の耐うべき苦難は、主として、孤閨を守ることの苦しさであると認められるから(原告本人尋問の結果並に証人大和猛の証言を綜合して見ても、経済的苦しさ、或は生活上の困難と云うべきものその他原告に於て特に耐うべき苦難のあることは認められない)前記の様に解したとて、原告に難きを強うると云うが如き性質のものではない。のみならず、被告が、やがて帰還して、原告と夫婦生活を送るべきことを、待ち望んで居ることが、証人大和猛の証言によつて推知されるから、妻たる原告も之に応えて、被告の帰還を誠実に待つべきであつて、それは原告に難きを強うるものではなく、又法律が裁判上の離婚を認めた趣旨に反するものでもない。

然るに、原告は、右義務を尽すことなく、却つて自ら、自己の責任ある行為によつて被告の母と折合を悪くし、之と同居し難くなり、その結果、実家に帰り、間もなく新に夫以外の男子を得て事実上の第二の婚姻を為し、之と生涯を共にすることを決意して、被告と婚姻関係を継続する意思を抛棄し、以て被告との婚姻関係を実質的に破壊し去つて仕舞つたことが、前記認定の諸事実と、証人大和猛の証言並に原告本人尋問の結果とを綜合して、認められるので、本件原被告間の、婚姻の実質は、原告が自ら之を破壊し去つたものであると断じなければならない。

而して、本件原被告間の夫婦関係の実質は、之によつて全く失われ去つて居るので、之によつて、離婚原因が発生して居ると云うべきである。即ち、本件に於ける離婚原因は被告に前記認定の事実のあることによつて、生じたものではなくして、原告自身の手によつて、原被告間の婚姻の実質が破壊された結果として、発生したものであるとしなければならない。而して、斯る場合に於ては、被告は離婚請求権を取得するが、原告はそれを取得し得ないと解さなければならない。蓋し、改正民法は、裁判上の離婚について、制裁主義即ち婚姻当事者の一方がその責任ある行為によつて、婚姻関係の実質を破壊せしめた場合にその制裁として、他の一方の当事者に、離婚請求権を与えると云う主義をとらないで、救済主義、即ち実質上破壊されて仕舞つた婚姻関係から当事者を解放せしめる為め、婚姻当事者双方に離婚請求権を与えると云う主義をとつて居るとは云え、離婚請求権が、権利として構成されて居る以上、婚姻関係の実質破壊に原因を与えた者に、離婚請求権即ち破壊された婚姻関係からの解放を求める権利を与えて居るとは解し得ないからである。何となれば権利の取得については、権利の性質上、常に正当性を具有して居なければならないのであつて、自ら婚姻関係の実質の破壊に原因を与へた者は、その破壊された婚姻関係からの解放を求める正当性を有しないからである。

尚、婚姻関係の継続中夫以外の男子と通ずることは、明かに不貞行為であるから、被告に於て、離婚請求権を取得こそすれ原告に於てそれによる婚姻関係の実質の消滅を理由とする離婚請求権を取得するいわれはない。

以上の次第で、要するに本件は被告に前記認定の事実があつても、それは離婚原因にはならないのであつて、却つて原告が自ら、本件当事者間の婚姻関係を破壊し去つたことによつて、離婚原因が発生し、而も、それに基く離婚請求権は原告にないことになるので、結局、原告の本件離婚の請求は理由がないことに帰着する。

(原告は、よろしく、被告の帰還を待つて、然る後に本件婚姻関係の処置を為すべきである。)

五、仍て、原告の本訴請求は、之を棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 田中正一)

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